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東京湾にも高い放射性物質

昨日のNHKスペシャルで「知られざる放射能汚染~海からの緊急報告~」という特集を観ました。

原発事故直後の国の見解では、放射性物質は潮流によって次第に拡散し薄まるので、魚や海藻類への影響は少ないとのことでしたが、研究者と地元の漁師とNHKの調査によって実態は全く異なることが判明しました。

福島原発から半径20km圏内で調査した結果、海底の泥に高い放射性物質が溜まっており、海底の“ゴカイ”を食べる魚に暫定基準値の500ベクレル/kgをはるかに上回る放射性物質が検出されました。

検出された値は、チェリノブイリ原発事故より高い値のため、最低でも今から2年半は調査する必要があるとのことです。

福島県から南の茨城県の漁港では暫定基準値500ベクレル/kgを超える値の魚介類が検出されていないため、今のところ漁業が続けられていますが、今年の4月には暫定基準値が100ベクレル/kgに下げられるため、漁業関係者への不安が広がっています。

茨城県北部の沿岸ではそれほど高い値は検出されなかったのですが、その南の茨城県中部で福島原発20km圏内の海底に生息する“ゴカイ”と同じ300ベクレル/kgという高い値が検出されました。

さらに原発から180km離れた千葉県銚子沖では、昨年10月に調査した結果よりも3倍の112ベクレル/kgに増加していました。

海底の放射能汚染は、薄まるどころか着実に広がってきていることを示しています。

放射性物質は、海況によって局所的に集まりホットスポットを生み出したりするため、リアルタイムでどこに高い値が存在するかを知るのは困難です。

内陸の群馬県の湖でも高い値が検出されました。湖は海とは違い、水の流れがほとんどないため、長期間に渡って汚染が続きます。

ウクライナのチェリノブイリでは、25年経った今も調査が続けられているそうです。

国の調査は、陸に関してはようやく調査結果が示されましたが、海、そして手付かずの湖や沼など、まだまだやるべきことが山積みです。

そして、気になるのは東京湾です。

アクアラインの南から東京湾の奥にかけて、ほとんどの海域では高い値は検出されませんでした。

しかし、江戸川と荒川の河口付近では、最大で872ベクレル/kgと原発20km圏内の海と同じぐらいの値が検出されました。

これは、市街地に降った雨水が泥と一緒に少しずつ川に流され、東京湾の河口付近にホットスポットを作り出したと考えられています。

今は局所的で、魚への影響は出ていませんが、これから雨が降るたびに東京湾に溜まっていき、海へ広がりをみせると危険です。

研究者によると2年2ヶ月後が最も東京湾の汚染が深刻になると報告されています。

その汚染は10年以上続くと考えられています。

放射性物質は見えないところで今も動いているのです。

これからも注視していく必要があります。

テーマ : 放射能ニュース
ジャンル : ニュース

あきらめない心【後編】

畠山氏のカキ養殖における苦難は、今回の震災に始まったことではありません。

***

高度成長期の1960年代、気仙沼湾で赤潮が発生するようになった。環境悪化が原因。

大量の水を飲むカキはもろに影響を受けた。

3年かけて育て上げた極上のカキは、その身が真っ赤に染まり、売上は激減。

同業者は次々とカキ養殖をあきらめ、気仙沼から去った。畠山氏も廃業寸前まで追い込まれた。

そんなとき、唯一の救いは母の言葉だった。

「笑顔でいなさい。下を向いてはいけないよ」

そして、転機がやってくる。知り合いの招きでフランスを視察する機会を得た。

畠山氏は地元の人に聞いた。「ここでは、どうして赤潮が発生しないのか?」と。

すると答えはすぐに返ってきた。

「私たちは、森を手入れしている。森は海のおふくろなんだ」と。

帰国してすぐに気仙沼湾に注ぐ川に沿って山へと向かう。上流では森が伐採され、ハゲ山が広がっていた。

役場にかけあい、木を植える許可を得た。

時間を作っては山へ向かい、たった一人で木を植え始めた。

しかし、思わぬ知らせが届いた。この川で森を水没させるダム建設の計画が進んでいたのである。

畠山氏は悩んだ。「海を守るために、森を守る」どうしたらこの考えをわかってもらうことができるだろうか?

そして、北海道大学で研究しているある教授の存在を知った。

海の環境を良くするには、山の腐葉土に含まれる鉄分が不可欠である。

しかし、その理論は当時確立していなかった。

気仙沼湾でそれを証明するためには多額の調査費用が必要だった。

工面するお金の当てがない畠山氏を、母が救った。

船を新しくするときのためにコツコツと貯めていたお金の入った封筒を差し出し、こう告げた。

「下を向いてはいけないよ。自分のやり方を貫きなさい。」

自分の考えでやってきたことは、他人のせいにできない。だから自分でやるしかない。

畠山氏の迷いは吹っ切れた。

教授とともに2年間海水を調査し、気仙沼湾の鉄分の9割が山からの水によってもたらされていることを証明した。

ついには、市の議会を動かし、ダム計画は凍結された。

畠山氏は、今まで以上に植林活動に力を注いだ。次第に人々の輪が広がっていった。

木を植え始めて7年目に変化が起きた。

夏場枯れていた山の水が再び湧きだし、イワナやヤマメなどの川魚が再び戻ってきた。

さらに3年後、ついに赤潮が消えた。再び見事なカキが取れるようになったのだ。

***

このドキュメンタリーを通じて、畠山氏から学ぶべき“あきらめない心”をまとめました。

■ピンチの中でチャンスを見出す(津波の年はカキがよく育つ)

■自分の信念を貫き、他人のせいにしない。すなわち、これから先も自分でやるしかない。

■最初は一人の活動でも、情熱を持ち続ければ、やがて人の心を惹きつけ、輪は広がる。

■あきらめずに長い間続ければ、環境を変えることだってできる。

そして、畠山氏の一番の原動力は母の存在でした。

残念ながら今回の津波によって帰らぬ人となってしまいました。

しかし、いまでも母の言葉が畠山氏の背中を押していることは言うまでもありません。

気仙沼産の「奇跡のカキ」には、幾重もの想いが詰まっていることを知りました。

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あきらめない心【前編】

震災からわずか9ヶ月、東京の築地市場にこの冬初の気仙沼産のカキが届きました。

築地の競り人が「奇跡のカキ」と呼ぶこのカキは、気仙沼でカキ養殖を始めて50年、その品質の高さは本場フランスにも轟く「気仙沼の父」畠山重篤氏の“あきらめない心”によってもたらされました。

このドキュメントを通じて、“あきらめない心”の大切さを前編・後編の2回に分けてお伝えします。

***

3月11日の大津波によって養殖場は全て壊滅。

2年かけて育て上げた1級品のカキ100万個は海底に沈んだ。

その被害総額は2億円。

カキ養殖をあきらめるという声も聞かれたが、畠山氏の考えはまったく違った。「意地でも復活させなければ」と。

震災から2ヶ月が経過した5月、復興再開に向けての活動が始まる。

集落の仲間に協力を求め、カキを吊るす木組みのいかだ作りに着手。

しかし、肝心の育てるカキを手に入れられる当てはない。

毎年、カキは石巻の漁師に頼み、生後数ヶ月の段階の“稚貝”まで育ててもらっている。

そして、6月、津波に打ち上げられたその稚貝が偶然見つかるという奇跡が起きた。

畠山氏は先を急いだ。

その理由は2つあった。

一つは1/3以上の世帯がカキ養殖で生計を立てるこの集落を元気づけたいこと。

もう一つは、51年前のチリ地震津波の記憶。

海底の泥の中の栄養分が津波によって溶け出し、通常2年近くかけて育つカキがわずか半年で育ったという。

「海はすぐに回復する」畠山氏の読みは間違っていなかった。

偶然見つかったカキの稚貝は例年よりも倍の速さですくすくと育つ。

そしてついにこの冬、出荷できる大きさまで育てるという快挙を成し遂げたのである。

(後編へ続く)

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奇跡の一本松

震災から9ヶ月が経ち、今日残念なニュースが飛び込んできました。

陸前高田市の約7万本の松で唯一、津波に耐えて残った「奇跡の一本松」(樹齢260年以上)が海水に浸かった影響で、枝葉の生育が止まり、根が腐り、とうとう枯死に至ってしまったとのこと。

「高田松原を守る会」は、これまで何とか奇跡の一本松を守ろうと、流れ込んだ海水をかぶらないよう排水ポンプを稼働させるなど、懸命な対策を続けてきました。

7月には新芽が点在しているのが確認されましたが、その後、茶に変色するなど樹木の衰弱は進行していたようです。

3ヶ月前に陸前高田市へ足を運んだ時は、遠くのほうから眺めただけですが、とても立派に立っている様子が印象的でした。

そもそも、なぜあの一本松だけが助かったのか?

それは、次の3つの要因が偶然に重なったことだと分析されています。

■近くの建物の存在

その建物とは、一本松の海側およそ15メートルにあった宿泊施設。

地上2階建ての鉄筋コンクリート製で築40年ですが、かなり頑丈な造りになっており、その建物が一本松の壁となり津波の力を左右に分散したため、一本松を津波が直撃しなかった。

■“堤防”の存在

一本松のすぐ北側を流れる運河の「のり面」の高さはおよそ6メートル。

この「のり面」が“堤防”の役割を果たして、津波の引き波が松に直接当たるのを防いだ。引き波は、この法面に当たって左右に分かれ、勢いが弱まったとみられる。

つまり、海側の建物と北側の「のり面」が2つの壁となり、一本松を守ったということ。

■一本松の高さが決め手

高田松原を襲った津波の高さは、およそ18メートルと推定されている。

たとえ、この2つの壁が津波や引き波の力を弱めることはできても、波は、はるかにその上を乗り越えてしまう。

周りにも多くの松があるなかで、なぜこの1本だけが助かったのか。

その秘密は、一本松の高さにある。

平均的な松の高さはおよそ20メートル。一本松はその1.5倍の30メートルもある。

津波が襲ってきたとき、高田松原の松は、引き波で流されてきたがれきが、枝に引っかかることで巨大な力が加わり、倒れたとみられる。

ところが、一本松は、ほかの松よりも背が高く枝が高い位置にあったので、がれきが引っかからずに流されなかったと考えられている。

***

今後、奇跡の一本松がどうなるのか行く末が気になります。

どこかの博物館に展示するとか、それがダメなら魚拓ならぬ“樹拓”や、存在していた場所にノッポの記念碑を建てるとか、何か後世に残せるといいですね。

でも、一本松から採取した枝から4本の接ぎ木に成功したと聞きますし、また、住民が震災前に拾った種子から発芽した約300本の苗も順調に育っているといいますから、確実にDNAは受け継がれているのです。

テーマ : 東日本大震災
ジャンル : ニュース

疫学とは

疫学(えきがく)という学問(研究分野)があることを最近知りました。

疫学とは、「集団をとおして見られる疾病の主に発生頻度の法則性から、疾病の分布状態を調査し、統計的な有意性が認められるかどうかにより、その因果関係を立証しようとする学問」

これだけでは良く分からないので、図を用いて疫学の具体的アプローチの例を挙げます。

疫学の考え方

■特定の地域で、ある病気が発生し、調査したところ、その人数が(ア)だとします。
⇒これだけでは、地域と病気との因果関係は何も証明できません。

■特定の地域で、同じ時期に病気にかかっていない人数は引き算でわかりますから(イ)になります。
⇒特定地域における病気発生の割合までは算出できますが、やはり因果関係は証明できません。

■その他の地域で、同じ時期に病気が発生した人数は(ウ)になります。
⇒仮にこの時点で(ア)>(ウ)となったとしても、特定地域が病気にかかりやすいとはいえず、最後の(エ)を調べる必要があります。

■その他の地域で、同じ時期に病気にかからない人数は(エ)になります。

(ア)~(エ)の4項目が全て調査できると、特定地域と、その他の地域における病気の発生割合が比較できるようになります。

つまり、病気にかかる割合を(ア):(イ)と(ウ):(エ)で比較し、(ア):(イ)の割合が多いということになって初めて因果関係を示す一つの根拠となるわけです。

実際に立証するとなれば、こんな単純計算だけで成立するものではありませんが、疫学の考え方は示したとおりです。

福島原発事故においても放射線に関するこのような疫学調査が始まっています。

何十年もの間、定期健診を受けることになるわけです。

万が一の早期発見と国の補償問題への対応のためとも取れれば、将来における疫学発展のための統計調査という批判もあります。

しかし、その真相は二者択一で導き出されるものではないですし、地元の方の心情を察すれば、そのような議論は避けるべきです。

テーマ : 原発・放射線量
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

gaku+

Author:gaku+
ニックネーム GAKU(本名:まなぶ)
1974年生まれ B型 水瓶座
平成6年から都内の某放送通信系企業に就職
技術・営業・企画と携わり現在に至る

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