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決断の遅れ

オウム真理教が起こした化学兵器による2つの無差別テロ。

一つは死者8人、負傷者150人以上を出した松本サリン事件。

もう一つは、死者13人、負傷者6300人以上を出した地下鉄サリン事件。

事件はなぜ起きたのか?どうして防ぐことができなかったのか?

その真相についてNHKスペシャルで取り上げていました。

この事件の首謀者であるオウム真理教の麻原彰晃は、教団設立時から社会を破壊し、支配しようとしていました。

まさか宗教団体が化学兵器を製造して、このような陰謀を企てているなどということは、事件が起きなければ誰も想像しなかったでしょう。

当時の警察やマスコミは、松本サリン事件の直後、会社員の河野義行さんを容疑者に仕立て上げました。

しかし、捜査の水面下で長野県警は、サリンの原材料となるある薬品の入手ルートを調べて行くうちにオウム真理教とのつながりに気づきます。

また、坂本弁護士一家殺害事件の捜査を手掛けていた神奈川県警も、オウム真理教を徹底マークしていくうちに、上九一色村に運ばれる化学薬品の流通ルートをつかんでいました。

オウムがサリン製造に関与していることは、ほぼ間違いないところまで突き止めました。

報告を受けた警察庁の元刑事局長は、2週間悩み続けた結果、オウム専従班を発足させます。

地下鉄サリン事件の6ヶ月前のことでした。

専従班発足後から1ヶ月後。

オウム真理教とサリン製造が完全につながる情報をキャッチします。

上九一色村で草木が枯れ、周辺からサリンの残留物が検出されたのです。

それでも、警察庁は強制捜査に踏み込むことができませんでした。

当時、サリンの製造を取り締まる法律がなかったことや、サリンの原料を入手していることはわかっていても、松本サリン事件でオウムが散布したという証拠をつかんでいなかったからです。

警察庁としては、一刻も早く大量無差別テロが起きる前に強制捜査に踏み切れるよう、別の事件に着目しました。

しかし、過去に国土法違反の疑いで強制捜査に踏み切った熊本県波野村の苦い記憶があり、結局強制捜査には踏み切れませんでした。

波野村では、それなりの態勢も整え、捜査し逮捕もしたけれども、オウムの危険性は解明できなかった。

もう少し態勢を固めて慎重に行わなければ、同じ過ちを繰り返すことになると考えたのです。

一方のオウムでは、警察の動きをキャッチし、備えを固めていきました。

そして、警察の大規模な動きから強制捜査は免れないということを覚悟したとき、麻原は地下鉄にサリンをまくよう教団幹部へ指示をしました。

これまでサリンは強制捜査を阻止する目的で作られたと考えられていましたが、たとえサリンで攻撃したとしても強制捜査は避けられないということをオウムも認識していました。

しかし、なにもしなければこのまま終わってしまう。

麻原は、自分の予言したハルマゲドン実現のために、地下鉄にサリンをまくという暴挙に出たのです。

強制捜査は予め1995年3月22日と決められていましたが、地下鉄サリン事件はその2日前の3月20日に起きてしまったのです。

警察は2つの重大なミスを犯しました。

一つは波野村の強制捜査の遅れです。

この強制捜査は実施することが決まっていたにも関わらず、一部の幹部から「宗教団体への捜査は慎重に行うべきだ」との意見が上がり、一週間延期したのです。

熊本県警に勤務する夫を持つ女性信者から、オウムはこの情報をすぐに入手していたのです。

それにより、武装化計画の痕跡が残らないよう必死で隠した結果、このときの強制捜査で武装化計画については何も気づかれなかったのです。

もう一つは上九一色村の強制捜査の遅れです。

結果として、地下鉄サリン事件が起きてからの強制捜査となりました。

この背景には前述のとおり、波野村の強制捜査が念頭にあったわけですが、実は“決断の遅れ”が事態を引き起こしていることに警察は気づいていなかったのです。
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プロフィール

gaku+

Author:gaku+
ニックネーム GAKU(本名:まなぶ)
1974年生まれ B型 水瓶座
平成6年から都内の某放送通信系企業に就職
技術・営業・企画と携わり現在に至る

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