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先人の外交戦略に学ぶ

日本は明治時代に大国ロシアとの戦争、“日露戦争”で勝利を収めました。

日本の勝利を支えたのは、当時の外務大臣、小村寿太郎が仕掛けた外交戦略でした。

世論工作によって、外国に親日感情を植え付け、支援を引き出そうというのが“広報外交”という活動です。

小村は国際経験豊かな2人の人物を抜擢し、それぞれ大国のイギリスとアメリカへ派遣しました。

新聞・雑誌への寄稿、講演、有識者との会合など、様々な方法を駆使して、日本が戦う正当性を訴えました。

その狙いは見事的中し、イギリスとアメリカ両国の支援を得ることに成功します。

ロシアは、世界最強と謳われるバルチック艦隊を投入しますが、世界に数々の植民地を持つイギリスの協力により、航海の途中で港に立ち寄っても、水や食糧、石炭などは提供されませんでした。

これによりバルチック艦隊は、本来の機動力を失い、日本に撃滅されることとなります。

日本海海戦での勝利に対し、アメリカのルーズベルト大統領は祝福の書簡を送ります。

しかし、このときすでに日本の兵力は限界に達していました。

陸軍では死者8万人、海軍は6百人以上の戦死者を出していました。

武器や弾薬もほぼ尽き、戦争はこれ以上継続できないところまで来ていたのです。

それでもなお、ロシアはシベリア鉄道を使って、陸軍の精鋭部隊を大量に送り込んできます。

窮地に立たされた日本がルーズベルトに講和のあっせんを依頼したのはこの時でした。

そして、ロシアはルーズベルトの説得に応じ、日本とポーツマス条約を締結します。

ここに日露戦争は日本の勝利で終結しました。

しかし、日本はいくつかの利権を獲得したものの、期待した賠償金を得ることはできませんでした。

そのことがわかると国民は不満を爆発させます。

各地で講和反対の集会を開き、東京日比谷では焼き討ち事件にまで発展しました。

新聞には連日小村を批判する記事が掲載されました。

講和を実現させて日本の勝利に貢献した小村寿太郎。

その外交は、国民の理解を得られませんでした。

小村は国益を貫くために、大国を味方につけ、多くの国民を犠牲にしました。

それでも条件的にはギリギリの講和であることを初めから予見していたといいます。

大きな相手に対して決して楽な戦はないということですが、身内を欺くようなやり方だけは、あってはならないと思います。

これは今の日本政府にとっての国民、企業にとっては働く社員に対し、説明責任があるということです。
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まとめtyaiました【先人の外交戦略に学ぶ】

日本は明治時代に大国ロシアとの戦争、“日露戦争”で勝利を収めました。日本の勝利を支えたのは、当時の外務大臣、小村寿太郎が仕掛けた外交戦略でした。世論工作によって、外国に...

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gaku+

Author:gaku+
ニックネーム GAKU(本名:まなぶ)
1974年生まれ B型 水瓶座
平成6年から都内の某放送通信系企業に就職
技術・営業・企画と携わり現在に至る

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